院進-k(インシンク)|大学院進学について考えるためのポータルサイト

院進-k(インシンク)|大学院進学について考えるためのポータルサイト

民間の仕事とアカデミックの研究の違い|関 礼子教授(立教大学社会学部)【前編】

関 礼子教授プロフィール:立教大学社会学部教授、博士(社会学)。1997年東京都立大学大学院単位取得満期退学、日本学術振興会特別研究員、帯広畜産大学畜産学部講師・助教授を経て2007年より立教大学社会学部助教授、准教授を経て2009年より現職。

人間は生きていくために学ぶことが必要なんです

先生のご経歴を教えていただけますでしょうか。

博士課程に4年間在籍した後に日本学術振興会特別研究員になり、その半年後に帯広畜産大学に就職が決まりました。その後に立教大学に移ってきました。
学部生の頃は学ぶことが楽しくてしょうがなかったですね。社会に目を向けてみると自分と違う世界に生きる人がたくさんいます。様々な人と出会って話がしたいと思っていました。しかし実際に話そうとしても、話になりません。コミュニケーションは会話のキャッチボールですが、私の場合はキャッチボールにならなかったのです。大学での学びは、「底の浅い自分」を底上げしてくれるものでした。

それは意外ですね。

今、社会に出た方でもう一度大学で勉強したいという人が増えています。人間は生きていくために学ぶことが必要なんです。生きるための学びにとって、大学や大学院は非常にいい場所だと思います。特に、大学院というのは誰かから教えてもらう場所ではないですよね。大学院生同士や教員とのコミュニケーションを通して、時に反発しながらも自分を見つめ直していく場所ではないかと思います。

そもそも大学院自体が世の中に認知されていないという現状もあります。

私も大学に進学した頃は大学院というものをよく知りませんでした。これは今の大学生にも共通しているのではないでしょうか。私のゼミに所属する学部生に大学院進学の紹介はしていますが、ほとんど大学院の説明会に来てくれません。

人間は生きていくために学ぶことが必要なんです

大学を出たら就職をするという流れができているのでしょうか。

そうですね。大学できちんと単位を取ってきちんと就職するという道ができていて、レールから外れることを非常に恐れる時代になっています。就職活動の圧力が強すぎて、大学生活のなかで自分を見つめ直す時間がないですよね。
大学院は、もしかしたら、かつて大学にあったモラトリアムを楽しめる場所なのかもしれません。講義はありますが、基本的には自分一人で勉強する場所なんですよ。自分で関心を持ったことを調べて、自分で研究の方向性を見定めていく。先生はアドバイスをしてくれたり、研究の視点やスタンスなどにコメントしてくれたりするけれども、基本は研究テーマと自分との格闘です。研究を通して自分を見つめ直し、自分の芯みたいなものをつくるというのが大学院生だと思います。

先生の仰る「モラトリアム」というのはどういう意味でしょうか?

モラトリアムとは社会に出るまでの猶予期間という意味ですね。試行錯誤しながら自分が何者かを突き詰めていく過程です。知らないことを調べていくと、わかっていたことがどんどんわからなくなっていきますよね。学べば学ぶほどわからないことは沢山出てくる。特に社会学では、テーマを探求していく中で自分自身のあり方が問われることがあります。

例えば数字をそのまま読むと、良い傾向だとか悪い傾向だとかが明確に示されるように思えますが、その数字の背景にある社会現象を見ていくと、そうした判断がひっくり返ることがあります。社会現象を見る目というのは、自分自身の存在や生き方にかかわってきます。社会学的な見方をするためには、見えないものを見る目が必要なので、自分自身を問うための時間でもあるモラトリアムは重要です。

つまり大学院とは物事を解釈するための知識や経験を積むことが出来る場所ということでしょうか。

そうですね。学問とはひとつの物事を深く掘り下げていって「真理」を追求することです。でも「真理」というものは決してひとつではない。ある時代に当たり前の「真理」と思われていたものが、次の時代にはひっくり返ることがあります。社会学の場合は、社会の「真理」を探究するのですが、社会は目にみえるモノではありません。言われてみれば、なるほどそうだと頷け合える事柄を発見していくのが社会学です。社会の当たり前を疑い、新たな視点から社会を解釈し、社会学的な事実の発見に辿り着くには、自分自身を見つめなおすモラトリアムの期間も重要です。

そのような解釈を追求することが社会学なのですね?

そうです。そのときに重要なのが現状分析とそこから導き出される「解釈」や「理念」です。「価値判断からの自由」という考えもありますが、社会は望ましい価値を共有することで、そこに向かって動いていきます。政策もそうですよね。例えば若者の貧困は自己責任なのか社会構造の問題なのか、家族の問題なのか労働力の再生産の問題なのか、一刻を争う課題か否かなど、解釈の仕方によって問題は異なって見えてきますし、政策の在り方も全然違ってきます。

理念を達成するために政策があると。

社会的な理念がないと方向性は決まりません。社会学は、現状分析から問題を発見し、問題解決の方向性を定めていくことで、望ましい方向性を指し示す学問でもあると考えています。

社会的弱者になりがちな人達の声を伝える拡声器になりたい

先生はどういった目的で環境社会学の研究を始めたのですか?

私が大学を出た時期は「新しい社会運動」論が流行っていたんです。「新しい社会運動」論とは、労働運動ではない社会運動です。たとえばフェミニズムや平和運動といった市民運動や住民運動。男性中心、労働者中心の運動の外にいる女性や学生たちが、「今の世の中おかしいよ」と声をあげ、新しい社会的価値を生み出してきた運動です。
その中の一つに環境がありました。エコロジー運動などですね。私は「新しい社会運動」論をとっかかりにして環境の問題に取り組もうとしたんです。当時はリオサミットに向けて、ちょうど環境という価値が国際政治の文脈で浮上してきたころでした。
はじめは、フェミニズムの分野を研究対象にしようと先行研究を読破しましたが、当事者が当事者の問題を扱うことは、非常に辛かったんですね。そのような「ヘタレ」な自分に気づいて、わたしは環境の分野に進んできました。

当事者自身が当事者問題を扱うのは難しいのですね。

私の場合はそうですね、もっとも、当事者が声をあげないところに社会問題は存在しません。当事者が「これはおかしい」と言い続け、その声をマスメディアが取り上げ、世論が盛り上がって、社会問題として認知される。その意味で当事者はとても重要です。強い存在です。でも、社会問題と認知されるまでは、問題の渦中にある当事者は、孤立しがちで、ともすれば社会的弱者になりがちなんです。私が当事者として語りきれなかったメッセージのかわりに、環境問題の渦中にある人達の声を「翻訳」して伝えたいという気持ちもありました。そのころ、自然や環境を守る運動は「地域エゴ」と言われることもあったし、運動は「ごね得」とされることもあったからです。
大学院ではじめに調査をしたのは、埋め立てから自然の砂浜を守る、愛媛県今治市の織田が浜の埋立反対運動でした。ここでは、何もない「地域のハマ」を守る運動が、全国規模で展開されていました。当時、自然保護とは学術的に価値ある希少・貴重な自然を守るという意味でした。しかし、運動をしている人にとって守りたい自然が、学術的に価値ある希少・貴重な自然だとは限らないんです。織田ヶ浜では、地域の生活とともにあったハマを守ろうという運動が展開されており、住民にとって身近な自然こそが重要である、というコモンズ的な価値を現場から学びました。それを学術の言葉に翻訳して社会に伝える拡声器のような存在になりたいと思いました。
現場がどういう理念や価値で動いているのかが、私にとっての関心事です。現場の理念や価値が、他者にとっても共有しうる理念や価値となるならば、そこに政策がくっついてきますよね。

事実を文脈づけて捉え直す、それが研究者です

現場と社会を結びつけるような視点だとすると、記者や解説員といったジャーナリスト的な仕事と社会学の研究者との違いはなんでしょうか?

環境問題が対象だと言うと、「研究なんかしないで運動したほうが役に立つ」とか、「ジャーナリズムのほうが力を持つ」と言われてきました。でもジャーナリストと研究者は違うんですね。事実をリアルタイムで伝えることができるジャーナリストと、分析して新しいものの見方を提示する研究者は同じではないはずです。私たち研究者は集めたデータを分析し、解釈し、文脈づけて捉え直すのです。 事実を伝えるだけではなく、それをどのように紐づけて解釈できるのか、その解釈をどう政策に活かしていけるのかを考える。ジャーナリストの仕事も重要ですけれども、データを積み上げて分析し、一つの社会的な事実を提示していく研究者の仕事も同じように重要な仕事だと考えています。

なぜジャーナリストの道でなく、大学院での研究を選択したのですか?

ひとつの問題を考え抜くことができ、その結果を自己表現できるということでしょうか。ジャーナリスト、たとえば新聞記者はどんどん担当が変わっていくんです。自分のライフワークとしてひとつの問題を追い続ける人もいますが、多くは若いときには現場でさまざまな問題を追いかけ、中堅になると論説委員になって、というような過程をたどるようです。自社の方針というものがあって、そこに合わない解釈が自粛されることもあるでしょう。社会学者のほうが、その意味で自由ですね。私は大学院に進むことで、研究する自由と時間を得たと思っています。

一つの事柄に対し時間をかけて追求することが大学院でしか出来ないことなのですね。

後半では大学院に所属した方はどういった教養を得られるのかに迫りました。

アカリクでは大学院進学を考える上での一助となるような活動を積極的に行っております。
記事についてのお問合わせは以下までお願いいたします。
※今後取材して欲しい人物や分野などのリクエストも受け付けています!

株式会社アカリク
「院進-k」事務局
Tel.:03-5464-2125
E-mail:info@acaric.jp

  • Twitter
  • Facebook
  • Google +
  • はてなブックマーク
  • pocket