院進-k(インシンク)|大学院進学について考えるためのポータルサイト

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民間の仕事とアカデミックの研究の違い|関 礼子教授(立教大学社会学部)【後編】

関 礼子教授プロフィール:立教大学社会学部教授、博士(社会学)。1997年東京都立大学大学院単位取得満期退学、日本学術振興会特別研究員、帯広畜産大学畜産学部講師・助教授を経て2007年より立教大学社会学部助教授、准教授を経て2009年より現職。

前回のインタビューでは「民間企業で得られることとアカデミックで得られることの違い」を話していただきました。
今回のインタビューでは「大学院で得られることや大学院卒後の進路」について教えていただきました。

大学院は自分自身と向き合う場

教員として、学生の研究にどう関わっていこうとお考えですか。

学生たちには、本と現場を往復しながら自分のスタンスで物事を見て考えてほしいですね。「繰り返し現場に出て学ぶ」ということを伝えたいです。
2、3日、現場に行くと、対象とする事柄について、ある程度、理解できると思います。でも1週間いるとわからないことが出てくる。1か月経つともっとわからないことが出てきます。これは、一般的にも言えますね。会社説明会でわかるのはとても小さなことだけで、実際入社して仕事をやってみるとわからないことが出てくる。1年も会社にいるのに会社のことを全然分かっていないということってありますよね。「わからなくなる」というのはとても重要なことです。わからないとその先を見なければならない。わからないことに向き合って目をそらさずに現場を見る。聞いて調べて考える。時に、当たり前と思っていたことを疑うことも大切です。

時間をかけて考えるという意味では、大学院生は日々その中に身を置いていることになりますね。

大学院で経験する苦しさは、自分で自分に課した苦しさでもありますよね。逃げたり妥協したりすることもできるし、逃げずに向き合うこともできる。今は「わかること」が重要視される社会になっていますが、本当は「わからないこと」が重要です。「わからないこと」を持つことで「疑う目」が養われます。「疑う」ということは自分自身と向き合うことの延長です。いつも同じことを繰り返すのは楽ですが、新しいことをやってみようという試行錯誤は自分自身と向き合って考え続けることに通じます。大学院はそういう鍛錬の場を提供してくれていると思います。

社会学が求める「答え」とは

社会学の面白さは、ひとつの事実に対して「疑う目」を持ち、様々な解釈を見るところでしょうか。

そうですね。「私がこう思った」で終わってはいけない。「私はこう思う、あの人はこう思う」でもいけません。自分の考えを学問的な手法で論理的に示していくことが重要です。どんな学問でもそうですが、独りよがりでは成立しません。社会学でしたら、先行研究やデータに基づいて独自の観点から論じていかねばなりません。

文系の研究では、理系の研究のように納得できるひとつの答えを導くことができるのでしょうか。

社会学でも量的調査の結果から、数字でひとつの答えを出すこともできます。しかし、社会学の醍醐味は、数字でこぼれてしまう部分をすくいあげることです。例えば「自然を保護すべきですか」と質問したとすると、みんな「イエス」と答えるでしょう。でも、どのような自然をどう守るのか、問題が具体的になればなるほど、考え方はさまざまです。「自然保護のために野生生物を保護する」という場合でも、獣害を引き起こす野生生物を駆除するかしないか、鵜飼やマタギといった狩猟文化や歴史を重視するか否か、さまざまな考えがあり、選択肢としてさまざまな答えが導き出されることになります。
見えやすい事柄を取り出して「これが答え」と言うことはできますが、見えにくい事柄を入れ込んでいくと、問題の見え方も答えもまた違ってきますよね。
「社会」というのは元々人間の中で作られるものであるし、目には見えない「空気」みたいなものですよね。その「空気」を変えるには、「水」を差したり、「風」を吹き込んで換気しなくてはいけない。社会は変化するし、変化するなかで違う答えを模索していきます。例えば、アルバイトは以前であれば「社会経験」として推奨され、フリーターも夢を実現するうえでの自由な生き方という意味を持っていましたが、いつの間にか雇用の調整弁になる安価な労働力という意味が際立ってきました。社会が変化すると、問題の最適解も変わります。それをどう捉えていくのかが重要ですね。

成熟しきった社会では多角的な視点が必要となります

今、時代的には学部生が優遇されている社会に見えます。それはなぜでしょうか。

学部新卒が就職するうえで有利であることは間違いありません。大学院を出て企業に就職するのは、まだ少数派です。まず採用する企業側の担当者が大学院をよく知らないですよね。技術開発に携わるような理科系ならまだしも、社会科学だと扱いにくいと感じることが多いかもしれません。
でも、これは大学院を修了した人材が、社会の中で活躍していくことで解消されていくことだと思います。現在の社会には閉塞感がありますが、同質性ではなく異質性、異なる視点で物事を捉えることができる人材力が、この閉塞状況の突破口になるのではないかと思っています。企業や組織にとっても、大学院で批判力、分析力、粘着力を身に着けた人材の魅力を見出してほしいですね。
成熟しきった企業はルーティンで回っていくかもしれませんが、そこに新しいものを入れ込まないと伸び代を失ってしまうと思うんです。日本の企業文化のなかには、収益性だけでなく社会貢献性を大切にする精神もありましたし、社会のなかにあるニッチをみつけ、ニッチを足掛かりにして、社会の中に価値とか理念を提供してきました。これからの社会で、新たな産業を育てていくためには、多角的に社会を捉えて物事を考えられる人、イエスマンだけでなく尖ったものを持っている人が重要になってくるのではないでしょうか。人生は長いですし定年も伸びます。大学院で学んでから社会に出るとか、大学院で学び直して社会に入り直すという選択もあってもいいのではないでしょうか。

今のお話に学部生が興味をもったとしたら、それも「見る目が変わった」ということになりますか。

「目からうろこ」という意味で、「見る目が変わった」とすれば、うれしいですね。学びの力は「人間力」につながっています。以前に読んだ本であっても、読みなおしてみると違った読み方ができるようになりますよね。成長するにしたがって、同じ話を聞いても反応の仕方が変わってきますし、固定的な考えや価値観から脱皮して、どんどん新しいものが見えてきます。学生の時期の学びが、そういった経験につながるといいですね。
現在の学生はバイトや就職活動に忙しく、「寄り道」することをためらう傾向があります。でも、卒業生をみていると、就職活動に情熱と時間を費やしていた学生でも、就職して10年もすると転職していたりするんですね。働くということは、企業ブランドという器を手にしたり、肩書きとか収入を得るためのものではない。やりがいや人生の潤いのために働きたいと思って転職した、と。就職後に「見る目が変わった」ということですよね。研究者のなかにも、一度、就職してから「見る目が変わって」大学院に進学したという人もいます。学ぶことは、苦しいですが、楽しいことです。

大学院に進学することのメリットは、学部時代とは違う価値観をもって自分自身と対峙できるところにもあるのでしょうか。

今はまだ、大学院への進学自体が、マイナーですよね。学生はコストパフォーマンスが悪いことを嫌がります。同じ単位なら楽をして取る方がいい。大学院は、そういう意味ではコストパフォーマンスが悪いんです。修士論文や博士論文に費やす労力や時間は、とても効率的とは言いがたい。単位という形式ではなく、内容という質が問われるからです。研究テーマと格闘して悩んで苦しむことも多いでしょう。でもそれが自分自身を作る血肉となっていくし、論文を書き終えた後の達成感も大きい。調査研究を通して自分自身の壁を突破していくのが大学院で学ぶことの醍醐味ですよね。

弱者としての視点をもって社会を見ていきたい

先生はもともと法律を勉強していらっしゃったと思いますが、そこから人と社会との関係に興味関心をもった経緯を教えてください。

法を通して社会をみるのではなく、社会を通して法の限界を考えたいと思ったからです。法律は合理的な社会規範とされていますが、実際の問題を法に照らして見ると納得がいかない部分も多くあります。強者の理論といいますか、そういったものが垣間見えることもあります。具体的な法律では救いきれない人間の営みや、彩りとか悲しみ、そういうものを見たいと思って、大学院では社会学の分野に進みました。
弱者が不当につくりだされることのない社会はどのように実現できるのか、というのが私の研究テーマのひとつです。公害問題に典型的にみられるように、環境問題は普通の人を弱者にします。「環境」は「社会」を映し出す鏡で、「人と自然との関係」や「自然を媒介とした人と自然との関係」のなかに、社会のあり方が映し出されます。環境の問題は社会のゆがみ、ひずみの問題でもあるのです。
もっとも、人が弱者にならない社会を考えてきた背景には、自分自身も簡単に弱者になってしまうという意識がありました。今とは違って、私が学生の頃は、男女機会均等法がようやくスタートした頃でしたから、まだ女性であることが弱者でした。大学院生を終えて日本学術振興会の特別研究員になったときに、クレジットカードを持とうとして審査で落ちましたから、大学院生という立場であればなおさら社会的信用はなかったわけです。当時は、社会的に劣位にある弱者そのものでした。
時代が違うと言われるかもしれません。そうであれば、この間、人を弱者にしない社会が進展してきたということですよね。

弱者としての自分と認識した時、大学院生であることをやめてしまえば強者になれると思ったことはありましたか。

そのころは、企業は大学院生を受け入れないという時代だったので、就職は考えていませんでした。今だったら大学院生でも受け入れてくれますよね。

修士であれば学部生と遜色ない就職状況ですし、文系博士にしても昔よりは認められてきていると思います。

そういう意味では私の時代は門戸が開かれていなかったですね。研究職に就職できるか人生を捨てるか、それくらいの覚悟を持って進学しました。大学院生が不幸な時代だったかもしれません。今後は、修士や博士が企業の中で活躍できる場面が増え、大学院生にとって、ますます柔軟な社会になっていくでしょうね。

当サイトの読者は学部生の方や院に進学して間もない大学院生の方々ですので、彼らにエールをお願いします。

本を読む、コミュニケーションをとる、知らない人と話す、知らないことを知るということが、生きる糧になります。これからの人生をどう充実したものにしていけるのか、いろいろな世界を覗いてみると、ヒントを見つけられると思いますし、人間の幅を広げるチャンスだと思います。いろいろなところに出入りする、いろいろな人と話す、好奇心をふくらます。一見すると無駄に思われることにこそ、豊かさがあります。
「自信を持ちなさい」というのは簡単ですが、自信は持てと言われて持てるものではありません。これだけ本を読んだ、これだけ世の中を見た、これだけたくさんの人と出会った、そして論文を書き上げたという積み重ねのあとに、自信がついてきます。その自信がもっと人生を豊かにしていきます。
合理的にコストパフォーマンスを考えるのではなく、試行錯誤しながら研究テーマと格闘した末の達成感と充足感を経験してほしい。それが私から伝えたいメッセージです。

そこの極みが大学院なんですね。本日はどうもありがとうございました。


アカリクでは大学院進学を考える上での一助となるような活動を積極的に行っております。

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